私は三人姉弟の真ん中!
年子の弟が、すぐ産まれ、寂しさからか母親とはあまり上手く関係が作れず、思ってる事も言葉で伝える事ができないまま大きくなり、家の中と外での自分は、まるで別人!
なので外にいる時の自分が好きで社会に出てからというもの昼夜ずっと働いてました。(バスガイド、飲食業、等々)
なんとか30歳で結婚できて第一子出産。その後も息子が4か月の時からまた仕事。
そんな生活を過ごしてたのもあり、お肌もニキビがひどくてニキビ跡やシミがずっと気になってました…。
そんなある日、美容の仕事をしてる姉が使用してるスキンケアを使うようになり、少しずつお肌も改善されてきました。
スキンケアだけでもこんなにお肌が変わるんだ!って実感したのを今でも覚えています。
子育てと仕事で自分のケアは後回しになっていたのですが、気づくと少しずつ肌が綺麗になったね!と言われるようになりました。
すると、もっと綺麗になりたい!と強く思うようになるのと同時に鏡を見るのが楽しくなってきました。
2人目出産後の悲劇
私は2人目の子供を生後間もなく心臓病の手術中に失う事になりました。
待望の2人目!そして女の子!
成功率96%の手術だったにも関わらず、幼い命を失ってしまいました。
病院で泣き叫び
『娘を返してーー!!何度も何度も叫びました!!』
それからというのも自分を攻める日々が続きました。
私が手術に同意しなければ!
もう少し先に手術をしてれば、もう少し生きていられたのに!
本当にごめんなさい…
そんな身も心もボロボロで娘の所に行きたい!と、何度思った事か…
それからというもの娘に帰ってきて欲しくて不妊治療に通い始めました。
責任を任されてる仕事しながらの不妊治療は、かなりのストレスになりました。
生理が来るたび落ち込み…
そんな生活を3年間過ごしていたところ、ついに魔の手が!!
体調が悪くなり息が苦しくて仰向けで寝れなくなり、体操座りで夜中寝る日々を1ヶ月くらい続けました。
そして息子の7歳の誕生日に病院に行くと即入院。
悪性リンパ腫ステージIIIb。
このまま病院に来てなければ
後1ヶ月半の命だったよと言われました。
抗がん剤治療の副作用の為子供はもう授かれない。
もう絶望。
生きる希望が見えなくなりかけたけど、まだ私には息子がいる!
この子の為にも生きなきゃ!と、思い治療を頑張りました。
それは最初の抗がん剤の副作用は半端なかったです。
痛い、苦しい、気持ち悪い、味覚がない。
でも、私はその前に娘を亡くすという、とてつもない地獄を味わっていたからか、自分の病気の事はそんな辛く感じなかったです。
リンパマッサージとの出会い
闘病生活の中、彫刻リンパマッサージの創始者の姉とスタッフの方が交互に入院先に毎日彫刻リンパをマッサージしに来てくださいました。
身体が冷え切っていたので、身体の芯から温める効果のある岩盤浴のマットを持ってきてくださったり、お医者様もお勧めしていて学会などでも何度も発表されているビデンスティーを飲みながら免疫を上げ、抗がん剤治療6クールし、奇跡的に寛解する事ができました。そのおかげで私は『今』生きてます。
あの時、抗がん剤治療だけでは、あの時の体力や免疫力を考えると癌に打ち勝ってたかわかりません。
本当に感謝してます。
寛解後は、元の職場に戻ることはせず、きっと何か意味がある!ここで一番避けてた赤ちゃんともう一度向き合ってみよう!と思い保育士の仕事を探してみたところ見事面接も受かり赤ちゃんと接することができるようになりました。
それから、もっと子供と触れ合いたくて放課後児童支援の資格も取り学童支援員として勤務。
そして数年経ち、ふと私の人生このままでいいのかなぁと考えた時に、こんな経験をしてきた私にしかできないことは?と考えた時、
私と同じように辛い思いをしている人達に1人でも寄り添ってあげたい!
と思い、彫刻リンパの技術を取得しようと決意しました。
そして、2021年2月に念願のサロンをオープンすることができました。
沢山の人たちに寄り添いたい!
写真を撮られるのが嫌だった私でも、今では自撮りまでできるようになったのは自分自身としっかり向き合うようになったり、自分を大切にすることで身体やお肌だけでなく心も変化していき、少しずつ自信を持てるようになったからです。
なので、自分をもっと好きになれる女性が増えて欲しいです。
今まで見えてなかった世界を見ることができ笑顔で溢れるようになると思います。
これからは、沢山の人達に寄り添いながら、心と身体の不調を改善してお肌だけでなく健康的な身体を作るサポートをしていきたいです。